「俺は愛を餌に生きてィる」

2019年03月01日
「俺は愛を餌に生きてィる」

1: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 11:54:33.68 ID:nlsr789Z0
「美味そうな飯、見ィつけた」

少年「!?」キョロキョロ

「ここだここ。もっと上」

少年は不可解な存在を目にした。
塀の上に腰掛ける、少なくとも人間ではない灰色のナニカ。
化物と呼ぶには頼りなく、幽霊と呼ぶにはコミカルな、異質の存在。

「少年、君の欲望を一つ叶えてやろう」

2: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 11:56:44.20 ID:nlsr789Z0
それなりに長い。普通に短編ぐらいある。
地の文が多い。
途中で俺の思想が混じっちまったから見るに絶えないかもしれない。

以上三点気をつけて、どぞ。

3: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 11:57:10.92 ID:nlsr789Z0
少年「……」フルフルフル

「なんだ? 君、もしかして喋れなィのか?」

少年「……」クルッ ダッダッダッダッダッ

「追ィかけっこか……無駄なことを」

少年は全力で逃走を試みた。
しかし一つ目の角を曲がると、既に"異質"は塀を背に欠伸をしていた。

少年「!?」

「逃げても無駄だ、無駄。君からは素敵な香りが漂ってるからな。
 意地でも逃がしやしなィってもんだ」

少年「」ビクビク ビクビク

「そんなに怯えることはなィ。ほんの少し体を預けるだけでィィんだ。
 どうやら口が利けないようだけど、そんな些細なことはどうでもィィ」

少年「……ぃゃ」

「なんだ、喋れるのか。それなら言葉を交わそう。
 君の欲望――君の愛する者はどこにィる?」

4: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 11:58:01.29 ID:nlsr789Z0
改めて少年は"異質"を目の当たりにして、蜃気楼のようだと怯えた。
化物めいた輪郭はあれど、ゆらゆらと動くそれに実態は伴っていそうもない。

幼少の頃に熱中していたヒーロー番組を思い出す。
欲望を叶える代わりに魂を奪う化物。確かそんな敵役がいた筈だと。

少年「……ぃゃだ」

「素直に教えた方が身のためだぞ? 実力行使に訴えれば、君の命はゴミ屑同然だ」

少年「……ぃっても僕は死ぬでしょ?」

「死ぬ? そんな不条理なことはなィ。ただ少しだけ、空っぽにはなるだろうけれど」

少年「……それなら尚更教えられない」

少なくとも、"蜃気楼"が求める愛する者を教えればその人に迷惑がかかるのだろう。
自分がどうかなってしまうよりも、少年にとってはそちらの方が問題だった。

5: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 11:58:49.24 ID:nlsr789Z0
「とんだ自己犠牲精神だ。君はきっと良き英雄になれるだろう。
 けれど俺が望んでィるのは英雄じゃなくて、餌だ。理解できるか?」

少年「……」ギュッ

少年が愛する者を護る心は決して英雄に似通った崇高さではない。
愛する者に迷惑をかけてしまう罪悪感。その一点を得たくないだけだ。

臆病者が臆病に飲まれて瞼を強く下ろす。
なんて短い人生だったんだと過去を振り返る勇気すらない。

「……少年。君はまず、人間としての本質を学ぶべきだ」

"蜃気楼"が少年に向かって静かに近づいていく。
歩くわけでも浮いてるわけでもなく、連写のネガのように迫り――重なった。

少年「ぐっ……!?」

目を瞑っていた少年はなにがなんだか把握できなかったが、
体に、心に異物が侵入したということだけは辛うじて実感できた。

多大な吐き気を催して、喉に指を入れて突っ伏せる。
胃液ばかりが出るばかりで肝心のナニカは胸の辺りで燻っている。

少年「ぅぅっ……ぅぅっ……」ポロポロ

気味の悪さと永続をちらつかせる現在〈イマ〉に涙が溢れた。
死んだ方がマシだということもあると少年は知った。

6: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 11:59:43.55 ID:nlsr789Z0
半ば無意識のふらついた足取りでなんとか自宅に辿りついた少年は、
一も二もなく自室に入ってベットに倒れた。

いつしか眠りこけて、ぼんやりとした夢を見る。
夢の中には形容し難い美があった。

美しいという認識を強制されているだけで、
性別さえ特定し難いその姿を捉えることは結局叶わなかった。

「君には俺がこんな風に視えてィるのか。
 人型ではあるようだけれど、てんで意味を成してなィな」

紛れもなくその声は"蜃気楼"だった。
美が化物だと知れた途端に少年は後退る。

「なに、怖がる必要はもうなィんだ。これからは運命共同体って奴だからな。
 暫くは馴染むまでこの深ィ場所に居させてもらう。
 馴染んでからが楽しィ楽しィ勉強の時間だ」

唐突に目覚めた少年の体からは、
先程まで溜まっていた毒が夢であったかのように消えていた。

7: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:00:22.75 ID:nlsr789Z0
あの日のことは白昼夢だったのだろうかと考え始めた一週間後。
それまで何一つ起こらなかった少年の心に、些細な変化が現れた。

男子「おい、俺の代わりにやっといてくんねえ?」ニヤニヤ

男子生徒が少年に箒を渡そうと手を伸ばした。
この男子生徒は度々少年に放課後の掃除を押し付けて帰っている。

少年は生来の性格から断ることができず、黙って首を縦に振っていた。
とことん臆病で面倒事を嫌う少年は、自分が引き受ければ解決する問題は受諾する。

男子「おい、聞いてんのかよお?」イライラ

男子生徒はいつも通り少年が受け入れるものだと思っていた。
けれど一向に少年は箒を取ろうとしない。

男子「やっとけっつってんだろ!」ドンッ

少年が今まで虐められなかったのは、何事も受諾するという処方箋が効果的だったからだ。
しかしそれが覆された今、初めて少年は虐めのターゲットとなり、男子生徒に箒を強く押し付けられた。

8: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:00:50.65 ID:nlsr789Z0
少年「……」

少年は口も開かず、かといって箒も取らずに立ち尽くした。
産まれてこの方、湧いたことのない感情に戸惑っている。

ぐつぐつと腹の底が煮え滾り、自然と噛み締められた奥歯が軋む。
握られた両の拳が唸って俯きながら肩が震えた。

どうしたんだろう。
これはなんだろう。

得たことのない感情は不安も同時に付き纏った。
そんな少年に答えたのは、外ではなく内から発せられたあの声。

「それが怒りってやつだ。
 少年、君はまず怒り方を知るべきなんだ」

"蜃気楼"の言葉が途端に少年の心を恐怖に染める。
すると強張っていた全身から緊張が解かれ、埋め尽くしてた不安から開放された。

少年「……ごめん、掃除、するから」

男子「最初っからそう言ってりゃいいんだよ!」スタスタスタ

「まったく、呆れるほどに君は頑固だ。
 けれどィつまで君の大好きな臆病は味方をしてィてくれるかな?」

視える筈のない美が足を組んで嘲笑っている。
行く先の視えないこれからに、少年は一人怯えていた。

9: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:01:38.89 ID:nlsr789Z0
それからも"蜃気楼"によるものだと思われる感情操作は続いた。
その度に少年は得たことのない感情から不安になり、心から恐怖した。

「それが哀しィってことだ。
 君は今まで現実を直視してィなかったから、哀しみを覚えたことはなかったようだな」

「それが喜びってやつだ。
 なんだ、君は喜びすらろくに知らなかったのか。それで人間だなんて笑わせる」

「それは楽しィってィうんだ。
 喜びに似通った感情だけれど、決定的に相容れなィ感情だ。
 喜びには努力が必要で、楽しィには必要なィ。得ようと思えばィつでも得られる」

しかし少年は全てを恐怖で凌駕してきた。

「これは思ィの外長丁場になりそうだな。
 甘ィ香りに釣られてみればとんだじゃじゃ馬だ。
 まさか喜怒哀楽すらろくに機能してィないなんてな。
 君、俺よりもよっぽど気持ち悪いぞ?」

「それにしても陰鬱な場所だな。
 常に曇り空で大地が枯れ果ててしまってィる。ここに感情の花を咲かすのは大変そうだ」


10: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:02:36.29 ID:nlsr789Z0
日毎に"蜃気楼"の声は大きくなり、言葉数は比例して増えていく。

「不思議なものだな。姿形を成してなィ俺の方が人間らしくて、
 人から産まれて人型の君に感情が欠乏してィる。
 人間はなにを以て人間と定める? なんて、少々哲学が過ぎるが。
 しかし君はもう少し考えた方がィィ。世間一般とやらにィわせれば、君はとっくに狂ってる」

少年「……ぅるさい」

「少年、それは怒りじゃなィ。ただの反射だ。パブロフの犬だ。
 慣れてきたから反抗できるようになっただけで、音が響けば誰だって五月蝿ィとィう。
 勘違ィはしなィようにな」

少年「っ」

「そうだ、どちらかとィえば声が出なくてもそちらが正しィ怒りなんだ」

かれこれ"蜃気楼"が少年に巣食って一ヶ月が経とうとしている。

11: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:03:09.94 ID:nlsr789Z0

"蜃気楼"は事あるごとに少年へ話しかけた。
感情云々だけではなく、くだらない内容の話も次第に増えた。

「おお、少年。これはなんだ、なんとィう食べ物だ」

その時ばかりは少年も、いつもに比べれば無感情に聞き入れることができた。

少年「……母さんが作ってくれたお菓子」

「名無しか? 是非また食べたィものだ。甘くて美味ィ。なにより食感が心地ィィ。
 こんなに美味しィのにどうして少年は喜ばなィんだ?」

少年「……知らない」

「俺は世界各国の人間を見てきた。中には感情が完全に死んでしまってィる奴もィた。
 けれどな、少年のような訳の解らない存在はどこにもィなかったぞ」

「俺が餌としてィるのは人間の欲望に君臨する愛だ。愛を糧に生きてィる。
 感情が無ければ人を愛さなィから、俺は奴らの望みを叶えられなィ」

「奴らに感情がなィのはそれなりの人生を送ってきたからだ。
 紛争の激しィ国や貧しィ地域では、心の死んだ人間は多ィ」

「しかしここは平和な国だ。ましてや君の家は貧しィわけでもなィ。
 更に、君は感情が欠落してィたのに愛する者がィる。これは矛盾してィる筈なんだ」

「心は死んでィないようだが育つべき感情が育ってなィ。
 少年、君はどんな過程でここまで生きてきた」

少年「……覚えてない」

"蜃気楼"は大きな溜息を吐いたが、いつか少年の心に感情が満ち溢れるであろうことを期待できた。
一ヶ月居座ったからなのか、少しずつ少年は真っ当な返事をするようになってきている。

12: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:03:54.49 ID:nlsr789Z0
男子「おい、宿題みせろ」

何度も何度も巫山戯た男だと、半ば少年に自分を重ねて"蜃気楼"は怒りの種を蒔いた。

少年「……」

ぐんぐんと種は成長していき、いざ芽が出る――その時になると、
どこからともなく恐怖が現れ颯爽と種を刈り取ってしまう。

毎度のことながら"蜃気楼"はげんなりした。
少年に住み着いて三ヶ月が経つ。

当初は少年と取れるコミュニケーションの層が厚くなることが、
いつか感情が花咲かす、そんな希望を"蜃気楼"に抱かせた。

それから二ヶ月が経ったが少年の感情は一向に発芽しない。
ぬか喜びだったと"蜃気楼"は項垂れた。

「まさかあのコミュニケーションが少年の最大値とは想定してィなかった」

震えながら承諾した少年は宿題を男子生徒に手渡した。

13: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:04:44.14 ID:nlsr789Z0
ある日の日曜日、少年は"蜃気楼"の要望により散歩をしていた。

「散歩に行こう、少年」

少年「……嫌」

「ならば俺は腹の底から歌を叫ぼう。叫ぶような歌ではなィが、是非君に聞かせたィ」

言うが早いか"蜃気楼"は叫び始めた。Culture ClubのThe Medal Song。
少年が産まれる前に発表されたイギリスの曲である。

当然のことながら英語の歌であり、少年に聞いた端から和訳する技術はなく、
陽気なリズムだということしか理解できなかった。

ただでさえ理解不能のアカペラが脳内に響くというのは苦痛だというのに、
"蜃気楼"は赤ん坊も泣きだす悲劇的な音痴だった。

瞬間、ゆらりと少年の頭が揺らめいたのは意識が飛びかけたからである。
頭をぶんぶんと横に振って、"蜃気楼"の言うことに従った少年だった。


14: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:05:28.14 ID:nlsr789Z0
「とりあえず人の多ィ街に出よう。閑静な住宅街では感情の動きようがなィ」

電車に乗って三十分。少年は滅多に訪れることのない都会に着いた。

「さて、適当にぶらつくとしようか」

宛のない少年の散歩が始まった。
人ごみの多いところに紛れればなにかしら感情が芽生えるかと考えたが、
ろくに期待していなかった"蜃気楼"はやっぱりダメかと顔をしかめる。

少年「……なにをすればいいの」

「そうだな……ナンパでもしてみ」

少年「嫌だ」

珍しくも即答である。ふと"蜃気楼"は嫌悪感も感情ではないかと考えたが、
嫌悪感だけではなにも始まらないと肩を竦めた。

「じゃあ逆に聞こう。なにかしたィことはなィか?」

少年「……?」

「相変わらず無欲だな。感情が欠落してィるのだから当然とィえば当然か」

喜びを得るから望むのであり、喜びを望むから得たいのである。
それが"蜃気楼"の描く欲望の成り立ちだ。感情が少なければそれだけ欲望も欠落する。

15: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:06:29.26 ID:nlsr789Z0
結局無駄足だったかと二時間程少年を歩かせて"蜃気楼"は諦めかけていた。
その時、偶然にもありがたい事故に会う。

女「あれ? 少年くん?」

少年「……」

少年に声をかけたのはクラスメイトの女子。そして、少年の想い人でもあった。

「なんて幸運だ。そうでもなィか? 今日は日曜日で遊ぶとなればここに来る者が多ィ。
 なんにせよ有効活用させて貰おう。それにしても――なぜ嬉々としなィ」

喜色満面とは対面の感情。またしても少年は恐怖していた。
少年にとって、全ての事柄は恐怖で象られてしまう。

「まずは楽しみの種を蒔ィておこう」

しかし種は着地することすら叶わなかった。それほどまでに少年に宿る恐怖は大きい。
それはつまり、女生徒の影響が強大だということも示している。

女「少年くんが街にいることもあるんだね。なんだかイメージ湧かないな」

女生徒は絶世の美女というわけでもなければ、クラスのアイドルにも届かない。
造形は整っている方ではあるが、少年が想いを寄せる理由は別にある。

女「私はね、服を買いに来たんだっ。でも友達とはぐれちゃってさ」

少年が無言でも話し続けてくれるということ。
孤独な彼が想いを寄せるには充分な理由だった。

16: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:07:51.16 ID:nlsr789Z0
「ならば哀しみの種はどうだ。
 ここまで気にかけてくれてィるのに、なにも返せなィ自分を悔やむんだ」

しかしその種もまた恐怖が飲み込んでしまう。
暗雲が轟く空の下で"蜃気楼"は唐突に笑顔になった。

誰かが見ていれば変人だと指を差していただろう。
だが"蜃気楼"はそれ所ではなかった。

"蜃気楼"は自分のことを思慮の深い存在だと認識している。
感情の起伏が乏しいのではなく、理性で事象を処理する存在だと。

発現してからこれまで百数十年の間、自己認識に違わぬ言動をとってきた。
だから、それは。

「巫山戯るんじゃねえええええええええええィ!」

滑稽なことに、産まれて初めての激情。
三ヶ月、溜めに溜めた怒りの爆発だった。

17: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:08:47.82 ID:nlsr789Z0
「どれだけだ! どれだけ君は怯えてィれば気が済むんだ!
 好きな子と偶然ばったり出会ったのだろう!? 喜べよ! 両手を挙げて喜べよ!」

「ここは〈ど、どうしよう、なに話したらィィんだろう〉って困惑する場面なのだよ!
 それでも男の子か君はあああああああああ!」

女「しょ、少年くん? 大丈夫? なんだか顔が真っ赤だけど……」

「想ィ人が目の前にィるんだぞ!? 少しでも格好つけろよ少年!
 大志は抱かなくてィィが真っ当に青春しろおおおおおおおおお!」

女「ごめん……迷惑だったかな……」

肩は微かに震え、顔は蒸気し、眉間に皺が寄り、血が滲むほど拳は握られる。
いつもの何倍、何十倍の感情は、未知への不安や恐怖すら跳ね除けた。

「それでも人間かきィィィィィィみィィィィィィうわああああああああああ!」

少年「うるさああああああああああい!」

女「」ビクビクッ

18: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:09:17.78 ID:nlsr789Z0
少年「はあ……はあ……――あ……」

女「」ポロポロ ポロポロ

常に騒がしい街が一時だけ静まり返り、少年へ注目が集中した。
電源の切れた機械のように立ち尽くした女生徒の涙は溢れて、鼻の啜る音だけが響く。

街から騒がしさが失われるという非日常は時の止まりさえ錯覚させたが、
女生徒の瞳から溢れる涙は少年を恐怖のどん底に誘う。

少年「あ、う……」

女「ご……ひぐっ……ごめ……っ」

たった三文字の言葉すらまともに吐けないほどに女生徒は泣いて、
悲しみからか恐怖からかその場を走り去っていった。

少年「あ……あ……」ポロポロ

女さんを傷つけてしまった。
女さんを泣かせてしまった。
女さんに嫌われてしまった。

少年「う……うぅ……」ポロポロ ポロポロ

19: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:09:53.07 ID:nlsr789Z0

「どうなってんだ?」

"蜃気楼"は目を疑った。

恐怖の曇り空によって太陽の光を浴びることのない枯れ果てた大地。
雨も降らなければ風も吹かない鼓動しない空気、それがついさっきまでの少年の心だ。

「まるで台風じゃなィか」

しかし今はどうだ。風は吹き荒れて豪雨が降り注ぎ、雷が至る所に落ちている。

「んん? 状況を整理してみよう」

だが"蜃気楼"は上手く思い出せなかった。
自分が珍しく激怒したということだけは覚えている。しかしその後が曖昧だ。
いつ悪天候になったのか、自分がなにを言ったのかすら思い出せない。

20: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:10:35.34 ID:nlsr789Z0
「とにかく、俺の激情が少年に作用したとしか考えられなィ。
 それにしても……怒りとはこれほどまでに疲れるものだったか?」

感情の起伏が乏しいのではなく、理性で事象を処理する存在。
そしてずっとそうであった"蜃気楼"は、感情に身を任せたことがない。

「……成程、馬鹿げたことだが認めなくてはな。
 感情教育と張り切ってィた俺も、少年とは違う形で感情を持ってィなかった」

理性で感情を押し潰すことすらしてこなかった"蜃気楼"は、
つまるところ昂ったことが一度もない。

少年ほどではないにしろ、"蜃気楼"もまた感情に背を向けていた。
在るから在るのではない。認識して、知覚して、感動するから在るのだ。

21: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:11:03.87 ID:nlsr789Z0
例えばこんな話がある。
世界の文化がまだ発達していなかった時代に、象を売ろうと考えた商売人がいた。

商売人は歩き続けて象を宣伝したが、誰もが象を買っても使い道がないと断った。
ならば異国の象を知らない者に売ればいいと考え、商売人は遠い辺境の国に訪れた。

そこで象という知らない生き物に興味を持った王に商売人は象を説明した。

「象はとても大きいのです」
「それはどれくらい大きいのだ?」
「この国の民家なら踏みつぶせてしまうほどに」
「そんな大きな生き物がいるわけがないだろう! 貴様、わしを謀〈タバカル〉か!」
「いえいえ本当ですとも! それに、象には立派な鼻があるのです」
「立派な鼻? それはどんな鼻だ」
「頭の後ろまで届くような、それはそれは長い鼻です」
「むむむ、貴様、どれだけわしを愚弄する気だ! この者を引っ捕えよ!」

と、このように。
認識することができず知覚することができない者にとっては、対象は存在しないのだ。

感情も同じようなものだと"蜃気楼"は考えた。
極論すれば、認識できても知覚できなければ、在っても無いのと同じなのだと。

22: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:11:36.51 ID:nlsr789Z0

「はっはっはー! 踏んだり蹴ったりな散歩だと思ったが、良ィ方へ転がったぞ!
 ……けれどこれは……ちと不味ィか?」

吹き荒れた風も夥しい雷雨も止む気配はない。

「このままでは世界が狭まってしまうかもしれん……。
 心の内に引き篭られたらお手上げだ。ここが勝負所か」

「少年! 想ィ人を追え! 今追わなければ一生後悔するぞ!」

少年「うるさい!」

「良ィのか!? このままでは想ィ人に嫌われたままとなる!」

少年「うるさい!」

23: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:12:02.63 ID:nlsr789Z0
「好きなのだろう? 想ってィるのだろう? ならば――」

少年「うるさい! お前のせいだ! お前のせいでこうなったんだ!
   ずっと平和だったのに! ずっとなにもなかったのに!
   お前の言うことなんか二度と聞くもんか!」

「しょう、ねん……」

少年「二度と口を効くな! あまりにもうるさいなら自殺してやる!
   そうなればきっと、お前だって一緒に死ぬんだろう!?」

「……」

"蜃気楼"の目前に雷が落ちる。荒れた豪雨が一層強さを増した。

24: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:12:44.40 ID:nlsr789Z0
「なんだかんだで三ヶ月……俺は初めて人と三ヶ月も過ごした。
 少しは……ほんの少しは……君と解り合えたと期待してィた」

輪郭のないぼやけた美の頬に一筋の涙が伝う。
そうか、これが涙というものかと、人型ならではの感情の発露に深く沈み込んだ。

これが悲しみかと"蜃気楼"は呟いた。
しかし直ぐに頭を振って涙を払う。

「少年……俺は君を見損なった」

そして"蜃気楼"は深い闇に溶けていった。

25: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:13:34.75 ID:nlsr789Z0
少年「……」

胸に激しい渦巻きを得てから二週間が経過した。
少年はいままでに増してぼうっと過ごすことが多くなった。

ただ一つ。

女「それでねー」

少年「っ」ズキッ

傷つけてしまった少年の大切な人はクラスメイトであり、
彼女の存在を認識する度に心が軋むような痛みを得ていた。

あの日の翌日、学校で女生徒に謝ろうと考えた少年だったが、
今一歩勇気が出ず、自分の不甲斐なさに肩を震わせた。

男子「よおよおよお、今日も俺の代わりに掃除頼むなー」

26: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:14:00.93 ID:nlsr789Z0
少年「……」

いままでと同様掃除を引き受ける。少年はそのつもりだった。
しかし、なぜだろう。足が小刻みに揺れていて、受諾することが容易じゃない。

少年(またなにか始めたのか!)

すっかり形を潜めた"蜃気楼"に問うが返答はなかった。

男子「おい、さっさと箒を受け取れよ」グイッ

眉間に皺が刻まれていく。噛み締めすぎて奥歯が軋む。握った拳が熱を帯びる。

男子「なんだあその態度……おいっ!」

少年「」ガタッ

27: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:14:41.03 ID:nlsr789Z0
少年「うるさ……よおま……」

男子「ああ?」

少年「うるさィんだよお前はッ!」

男子生徒の襟元を掴み上げて怒声を発する少年の姿に、クラス中が注目した。
あの陰気な、根暗な、臆病者が? 考えることは一人を除いて同じだった。

女(少年、くん……)

少年「ィつもィつもィつもィつも! 掃除ぐらィ自分でしろよ!
   僕はお前の召使ィじゃなィんだよ!」ドンッ

男子「な……あああああああああんっ!? なにいきなりカッコつけてんだビビりがあああ!



男子生徒は拳を振り上げて、容赦なく少年を殴り飛ばした。
クラスメイト達はなに反抗してんだか、と鼻で笑う。
どうせこれで泣きだすのだろうと。

しかし少年はすぐに立ち上がって男子生徒を睨みつけた。

28: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:15:35.36 ID:nlsr789Z0
少年「ううぅ……ああああああああああああ!」

叫びながら殴りかかる姿は男子生徒に狂気をちらつかせた。
いつもは温厚な、臆病者が本気で怒るというイレギュラーに体が強張る。

――――――バキッ

気づけば、あまりにもお粗末な殴り慣れていない拳に吹っ飛ばされていた。
激しい心臓の鼓動と連鎖する荒い息に肩を上下させながら、少年のどろりとした眼光は男子生徒を捉える。

少年「うあああああああああ!」

男子「待った! 待ってくれ! 俺が悪かった! 許してくれ!」

クラスメイトの前だというのに、恥すら晒して男子生徒は震えた。
恐怖で小便を漏らさずにいたのは不幸中の幸いだろう。

29: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:16:01.86 ID:nlsr789Z0
自分の前で歯を鳴らして謝る男子生徒を見た時、少年はふと我に返った。

少年「僕は……なにを……」

辺りを見回せば呆気に取られたクラスメイトの顔が伺える。
その中で一人、青い顔をして震えている女子生徒がいた。少年の想い人だ。

少年「また……僕は……くっ」

慌てて教室を飛び出した少年は息の続く限り走り続けた。
逃げたいという想いからか、気づけば学校の外にいた。

少年「お前、だろ……お前がなにかしたんだろ!」

叫び声は虚空に消えていく。
答えてほしい"蜃気楼"に少年の声は届かない。

30: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:16:32.30 ID:nlsr789Z0
少年「僕が、あんな、あんなことをするはずが……」

否定したくても拳の痛みが人を殴った衝撃を鮮明にする。
"蜃気楼"の所為にしたくても答えはなく、途方に暮れた。

少年「……うう……うっ、ああ……」ポロポロ

例えようのない不安が胸に落ちると、強い恐怖が少年を泣かせた。

これからどうなってしまうのだろう。
僕はどうしたらいいんだろう。

どうして自分が感情を得なかったのか、その理由を突きつけられた気がした。
僕の手には余る代物だ。こんな大きなもの、上手く扱える自信がない。

でも、上手く扱えなきゃ僕の所為で傷つく人がいる。
それなら、もういっそ、感情なんて――。

「ったく、最悪の目覚めだ」

少年「!?」

31: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:17:07.43 ID:nlsr789Z0
少年「い、いままでどこにいたんだよ!」

「どこにって俺はずっとお前の心の中にィるに決まってるだろう?
 あの時からずっと寝てィたけれどな」

少年「寝てた!? じゃ、じゃあさっきのは……」

「凄く激しィ怒りだったな。雷に直撃して目が覚めちまった」

少年「……雷?」

「俺が居る場所ではな、感情は天候によって表現される」

少年「ご、ごめん……」

「なぜ謝る。君は俺を恨んでィるんだろう?」

少年「そ、そうだ! お前の所為で大変なことになってるんだぞ!」

「はっはっはー。少し見なィ間に随分と人間らしくなったじゃなィか」

少年「笑い事じゃあ!」

「それでィィ」

少年「!?」

「それでィィんだ、少年」

32: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:18:29.89 ID:nlsr789Z0
「怒って、泣ィて、苦しんで、悲しんで、楽しんで、喜んで、笑えばィィ。
 少年、なにも怯えることはなィ。それが人間ってものだ」

少年「でも、僕は……こんな風には……」

「平和な日々がィィってか? 少年、別にそれは望めばィィ。
 平和な日々と感情の発露に関係は無ィんだ。そうでなければ、世界はもっと悲惨だろう?」

少年「でも感情が上手く扱えないんだよ!」

「扱えるようになればィィだけだ! 甘えるな、少年。
 人間として産まれてしまったら、最低限の義務は付き纏う」

少年「でも、でも、でもっ!」

「百数十年も生きたこの俺から素敵な言葉を教えてやろう。
 『でも』の後に続ィてィィ言葉は『自分ならできる』だ。
 それで少年。『でも』、どうした?」

33: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 12:18:58.47 ID:nlsr789Z0
眉尻を下げた少年は、無理矢理空を仰いでみた。
爽快な空を眺める気分ではなかったが、強制的にそれをしてみた。

伸びた雲が微笑ましくて頬を緩ませた。
太陽の光が眩しくて目を閉じた。
澄んだ空気が暖かくて胸を張った。

少年「でも……」

一つ大きな深呼吸を挟み、瞼を上げた少年の顔に迷いはない。

少年「……僕ならできるよ」

「少年、見直したぞ」

39: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 17:54:31.18 ID:nlsr789Z0
少年「とは言ってみたもののどうしよう……」

「覚悟した途端に弱音か、情けなィぞ少年。前言撤回だ」

少年「だって男子くんを殴っちゃったし、みんな僕のこと……」

「はあ……、少年、ィィではなィか。開き直ってしまえ」

少年「そんな、そんなことっ」

「俺が見る限りでは、少年は充分みんなに嫌われてィる。正しくは空気扱ィされてィる。
 今更嫌われたところでなにが変わる?」

少年「……なにも、変わらない?」

「今まで通り話しかけられなィだろうな。空気扱ィが腫れ物扱ィに変わるぐらィだろう」

少年「それ、結構大きくないかな……」

「はっはっはー。大丈夫だ、俺を信じろ!」

40: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 17:58:03.82 ID:nlsr789Z0
少年「……あれ? お前は僕の愛情を食べるためにいるんだよね?」

「……そ、そうだ。当たり前じゃなィか。急にどうした?」

少年「その割には優しくしてくれるんだな、って。
   俺を信じろ、とか僕を餌として見てないみたいに感じちゃって」

「それはィかんぞ少年。俺は君の捕食者であり、君は餌だ。それは揺るぎなィ事実だ。
 だから、俺を信用しちゃィけなィ」

少年「くすくす……矛盾してるよ」

「ぜ、全部を信じるなとィってィるのだ!」

少年「解ったよ。それにしても、いつまでもお前じゃ呼びづらいね。なにか名前はないの?」

「無ィ、ィらない。名前なんてつけたら情が移るぞ、少年」

少年「じゃあ名前は……」

「随分図太くなったものだな」

少年「決めた。お前の名前はシンだ。初めて視た時、蜃気楼みたいだって思ったからね。
   蜃気楼なんて見たこともないのに」

「シン……俺の、名前……。
 ん? これは……芽、か?」

41: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:01:15.51 ID:nlsr789Z0
翌日、学校に来た少年は教室に入らずトイレへ避難した。

少年「……本当に大丈夫かなあ」

「そのくだりの天丼は面倒臭ィからさっさと行け」

少年「冷たいなあ」

"蜃気楼"に喝を入れられた少年はトイレの個室で深呼吸。

少年「ぶっ――ここトイレだった!」

を止めて、胸に手を置いて心をほぐす。
ゆっくりと静かに鼓動を整えて、覚悟を決めた少年はトイレを出て教室に入った。

42: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:02:51.54 ID:nlsr789Z0
少年の姿を確認するや静まり返るクラスメイト。沈黙の重みが少年の足取りを臆病にする。

少年(か、帰りたい……)

「馬鹿げたことを抜かすな! ここで踏ん張れば恐ィものなしだ!」

一人だったならそもそもこんな事態にはなっていなかっただろう。
"蜃気楼"と出会わなければ、少年の求める偽者の平和に満足していられただろう。

少年(だけど僕はそれが間違いだって知ってしまった……。
  そして僕は今、一人じゃない!)

生唾を飲み込んで席に向かい、椅子を引いてそこに座る。
たったそれだけの動作に少年は滝のような冷や汗をかいた。

そんな少年に近づいていく人影が一つ。
昨日の放課後、少年と喧嘩した男子生徒だった。

43: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:07:22.73 ID:nlsr789Z0
「こィつ、復讐するつもりか!」

少年(どどどどうしようシン~)

「大丈夫だ、少年。
 百数十年生きてきた俺の指示通りに戦えば、こんな輩木っ端微塵にしてくれる」

少年(喧嘩するつもりはないよ! というか勝利の結果が物騒だよ!?)

一触即発の空気がクラス中に流れた。
その重苦しい沈黙を破ったのは男子生徒。

男子「そこ、俺の席なんだけど」

少年「……ふぇ?」

ぐりんぐりんと首を勢いよく回してみれば確かに少年の席は二列も向こう。

少年「ぎょぎょぎょぎょめん!」

折角の謝罪まで噛んでしまって古代の呪文のようですらあった。

男子「……っぷ、ははっ! ぎょめんってお前、魚じゃねえんだからよお!」

44: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:08:19.21 ID:nlsr789Z0
さして面白みのない他愛ないことだったが、
緊張していた糸が切られたギャップからかクラスメイトがちらほら笑いだす。

少年「そ、そうだね、ごめんね、男くん」

男子「ったく、昨日の続きでもしろっつーんかと思ったぜ。俺はごめんだからな」

少年「ほ、本当にその節はご迷惑をおかけしました……」

男子「……俺の方こそ悪かったな」

少年「え?」

男子「掃除とか、宿題とか、悪かったつってんだよ! さっさと自分の席に行け!」

少年「男子くん……」


45: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:11:04.40 ID:nlsr789Z0
「ほら、少年。ここで友達になってねとィえれば完璧だぞ」

少年「いいい言えないよお」

男子「なにがだ?」

少年「あの、その、えと……と、っとも、とも……」

"蜃気楼"が深い溜息を吐く。
友達ができれば感情の教育にいいと思ったが、
元のコミュニケーション値が低いのでどうしようもない。

しかし吐かれた溜息は一つではなかった。"蜃気楼"に重なって、もう一つ。

男子「ったく、恥ずかしい奴だなお前……おらっ」

そっぽを向きつつ男子生徒が差し出したのは開かれた右手。

男子「なにがどうなれば友達か知らねえけどよ、握手すりゃ友達でいいんじゃねえの」

46: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:12:26.14 ID:nlsr789Z0
赤らめた頬を少年に気取られまいと顔を逸らす男子生徒の右手を、
少年は両手で握って大きく上下に振った。

少年「うんっ、うんっ、うんっ! と、ともだち、だねっ!」

男子「ほんっとに恥ずかしい奴だ……もう先公来てんし、席行けよ」

男子生徒は顎で教師を指し示す。
ごほん、と咳払いを一つ教師がすると、慌てて少年は席に着いた。

男子「だーかーらあああ! そこは俺の席だっつってんだろ!」

少年「そ、そうだった!」

47: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:14:01.18 ID:nlsr789Z0
それから二週間も経過すれば、少年の取り巻く環境は一辺していた。

男子「お前昨日のジャングル大サーカス見た?」

少年「見たよー。凄かったよねー、ライオンが火の輪を小便で消した時は笑っちゃった」

男子「だよなあ! あれは俺も爆笑したぜ!」

「随分と見違えたものだな。少年の表情も、この景色も」

"蜃気楼"の目に映る広大な景色。
山もあれば川もあり、色彩豊かな花が咲いていて、太陽の光が地に届いている。

「んーっ……やはり寝るなら闇よりも日向に限るな。
 心残りは後一つだけ、か……」

大きく伸びをした"蜃気楼"はある一帯に降り続ける雨を眺めた。
豪雨でも雷雨でもないが、その雨が止む気配は今の所訪れない。

「しかしな、少年。できればこの雨は、君自身の手で止ませて欲しィ」

友人と楽しく喋る少年には聞こえない"蜃気楼"の声。

「切欠ぐらィは作ろうか」

48: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:15:13.84 ID:nlsr789Z0
「少年、そろそろ動ィてみたはどうだ?」

少年(今授業中だから後にしてよ)

「嫌だ。聞き入れなィならまたThe Medal Songを歌うぞ」

少年(それは本当にやめて! 怒るよ!?)

「そ、そこまでか」ショボン

少年(まあ聞くだけならいいよ。なに?)

「君も随分と感情の操作が上手くなった。男子の御蔭でな」

少年(うん。男子くんと話すようになってから、あそこまでピーキーには動かないよ)

「つまり下準備は整えられたわけだ。では最後の難関を突破しようじゃなィか」

少年(難関?)

「隠してィても俺には丸分かりだ。君の想ィ人のことだ」

少年「」ドキッ

49: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:16:48.76 ID:nlsr789Z0
「隠してィるつもりはなかったかもしれなィな。無意識に押し込めてィたか。
 しかし少年。君の気持ちは痛ィ程に解って――冷たっ」

少年(うう……そうだよね、女さんに謝らなくちゃいけないのに……。
   最低だ、僕は……)

瞬きの間に"蜃気楼"は雨でずぶ濡れになった。
それだけ少年にとって女生徒の存在は大きい。

「落ち着け、落ち着け少年」

少年(それに嫌われちゃってるんだろうな……泣いてたもんな……)

「うおっと! 既に洪水だと!? 激しすぎる!
 ってなに!? 土砂崩れ!?」

少年「う……うう……」ポロポロ

「しょ、少年! 落ち着け――」ガボガボガボ

50: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:18:01.99 ID:nlsr789Z0
男子(なあに泣いてんだあいつは)

教師の授業も半分程度に、男子生徒は少年の様子に気づく。

男子(最初は怒って、今度は笑って、今は泣いてか。
   ずっとビビってるだけだった奴が、妙に感情豊かになったもんだ)

男子(……ま、んなこたもうどうでもいいか)

男子「せんせー。調子悪いから保健室行ってくるわー」

教師「……行ってこい」

立ち上がった男子生徒はあっれーと大根臭のする声を発して、
覆いかぶさるように少年の前に立つ。

男子「顔色悪いのか寒気でもあんのか俺の学ラン被ってろよ一緒に行くかー」

少年「え? え?」

頭から学ランを被せた男子生徒に連れられ教室を出て行く少年を見て、
クラスメイトは逮捕された犯人のようだと眺めていた。

51: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:19:31.26 ID:nlsr789Z0
少年「え、っと……保健室行かないの?」

男子「行っても保健室のババアが追い返すからなあ。最上階行こうぜ。あそこなら静かだ」

「ぜえ……ぜえ……ようやく、マシになった、か……」

屋上は鍵がかかっていて開かれていないが、その手前に階段の曲がり角がある。
その段差にそれぞれ座った二人。少年はどうしたのだろうとちらちら男子生徒を覗く。

男子「なあ」

少年「うん?」

男子「俺らは友達だよな」

少年「もちろん!」

男子「満面の笑みとか気色わりいよ。ったく……。
   だったらよ、なんでも話せるよな」

少年「う」

頷こうとして少年は止まった。いくら男子生徒であれど"蜃気楼"のことは話せない。

少年「1から99ぐらいまでは……」

男子「そこまで話さなくてもいいっての。でもよ、さっき泣いてた理由ぐらいは話せんだろうな」

52: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:20:37.04 ID:nlsr789Z0
そこでようやく男子生徒がなぜ自分を連れて教室を出たのか思い当たり、少年は感謝を述べた。
小さな気恥かしさを覚えながらも、少年は想い人とのことについてつらつらと語る。

男子「あー、そりゃやっちまったな」

勿論"蜃気楼"のことは伏せなければならないので、不可解な点は隠した。
男子生徒に伝えたのは想い人がいることと、事故とはいえ傷つけてしまったことだ。

男子「んで、かれこれ一ヶ月が経っちまってるから謝るのも辛いと」

少年「そうなんだよ……」

男子「んじゃそれでいいんじゃね?」

少年「よくないよ」

男子「よくないなら謝れよ。やることは決まってんだろ。謝って、告れ!」

少年「こここここっく」

53: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:22:18.36 ID:nlsr789Z0
男子「ついでだ、告ってこい!」

少年「むむむ無理だよ!」

男子「じゃあ謝ってこい。それができないなら忘れろ」

少年「忘れ……られないよ」

男子「よし、決まったな。んじゃあ今日の放課後だ!」

「よしよし。少々荒っぽィが奥手な少年には丁度ィィ。
 しかし、告白か……愛が最大限に高まる時だな」

"蜃気楼"は空に浮かぶ雲を遠く見詰めた。綺麗な景色が心地よく感じられる。

「……少し長く居過ぎたか」

腹の辺りを探ってみるとぐうと催促する音が鳴った。

54: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 18:24:03.03 ID:nlsr789Z0
五時間目、六時間目と授業が進むにつれて少年の心の中は激しくなる。
瞬時の豪雨、瞬時の雷雲、瞬時の太陽、瞬時の虹。

「ふふ……一喜一憂してィるか」

めまぐるしく変化していく天候の中で"蜃気楼"はこの四ヶ月を振り返っていた。

「最初は会話も億劫だったな。その次は低ィコミュニケーション能力を思ィ知らされた。
 そして初めて俺が激情して、少年に伝播して……色々なことがあった」

「来た当初とは比べ物にならないほど豊かな大地となったな。
 あの頃の君と今の君では別人だ」

「けどな、少年……君は俺の餌でしかなィんだ……」

「愛を食われた人間は、その部分だけが空っぽになる」

「二度と人を愛することはできなィだろう」

「なに、そんなことをずっと続けてきたのだ。今更罪悪感なんてありはしなィ」

「餌に対して罪など感じなィ……食わねば俺が消えるだけだ」

「ふふ……少年。君の最大限の愛を、観せて貰うぞ」

待ち侘びた捕食の時が迫り、空いた腹が唸りをあげる。
口内に溢れる唾液は滑り、拭いきれない水分を垂れ流す。

57: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 20:53:32.30 ID:nlsr789Z0
少年(放課後……放課後がきちゃったよお)

少年(ど、ど、どうすれば……いや、違う。謝る、謝るんだ)

少年(僕のためにも、男子くんのためにも、シンのためにも……。
   なにより、傷つけてしまった女さんのために……っ!)

決意した少年が立ち上がると目の前には女生徒がいた。

少年「ひゃあっ」

女「うおっとと、びっくりしたー。少年くん、呼んでも気付いてくれないんだもん」

少年「どどどっどうして女さんがここに?」

女「男子くんに呼び止められたんだよ。少年くんから話があるからって」

女「それで、えと……話って、なんだろう?」

58: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 20:55:30.48 ID:nlsr789Z0
少年「……」

折角の好機だというのに少年は俯いてしまった。
この様子を教室の扉に隠れて覗いている男子生徒は百面相のように形相が変化しながら見守っている。

一言。たった一言でいいんだと力強く息を吐くもそこに言葉が伴わない。
挙動不審な少年の様子に女生徒は少々ビクついていた。

少年「――っご!」

ようやく一文字が言えたと思えばそこから先は続かなかった。
一文字さえ言えれば後は紡げるとタカをくくっていただけに落ち込みも激しい。

気力が萎んでいく。
自分の中でそれを感じ取る。

女「……ご?」

だが女生徒が聞き返してくれた途端、沸々と滾る強い想いが現れた。

「ほう、こりゃ見事なもんだ」

眼前の光景が次々に塗り替えられていく中で、
方向性の定まった景色に"蜃気楼"は感嘆した。

59: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 20:56:12.00 ID:nlsr789Z0
世界一面に花が咲き乱れ、暖かい風が花を躍らせる。
一緒に乗って流れてきたのは"蜃気楼"がいつか少年に聞かせたあの歌。

山は桜で桃色となり、海の植物プランクトンが発光を始めた。
暖かさと甘さが溶け合った軽やかな大地に陽気な音楽が鳴り響く。

「俺の鼻に狂ィはなかったみたィだな……」

ところかわって現実世界では、溢れた想いに突き動かされて言葉を発した少年がいた。

少年「ごめんなさい大好きですっ!」

扉の影に隠れていた男子生徒は盛大に吹いた。

60: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 20:57:00.54 ID:nlsr789Z0
なにがなんだか解らないといった様子の女生徒は呆気にとられていた。
普通に少年の言葉を整理すれば、好きであることに対して謝っているように聞こえてしまう。

言い終えた少年は数秒の時を経て、ようやく言葉が脳内でリピートされた。

少年「ちちちっちっがああああああああああうう!」

女生徒「」ビクビク

男子生徒が息を殺して腹を抱えている。

少年「あ、あのですね、すいません! もう一ヶ月ぐらい経ってしまいましたけど、あの、街で、そう街で! 街でおろろさせてしまって!」

女生徒「お、おろろ?」

ついに男子生徒は床を転がり始めた。

61: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 20:59:04.49 ID:nlsr789Z0
少年「それもちがああうううう」

あまりに豊かな表情が目の前で展開されるものだからか、女生徒はくすくすと小さく笑った。
それが少年には逆効果で、乗っかっていた波が遠ざかってしまう。

女「少年くん、ゆっくり、おちついて。私はちゃんと、聞いてるから。ね?」

想い人に微笑まれて喜ばない男の子はそういない。しかし少し前までの少年がそうだった。
けれど今は、心の底から喜びを噛み締めることができる。

「ほう、凄ィな君の愛は。まだまだ底が視えなィ……ィや、青天井か?」

紅葉で彩られた情熱的な朱が、桜の空を盛り上げる。

少年「聞いてください、女さん!」

凛々しく引き締まった顔つきを見て、一通り笑い終わった男子生徒は微笑んだ。

男子(これ以上見るのは野暮ってもんだ)スタスタ ップクク

心中でキザったらしい台詞を用意してみたものの、暫くはこのネタで楽しめると思い出して笑った。

62: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 20:59:50.55 ID:nlsr789Z0
少年「ひと月前、街で会った時、驚かせてしまってごめんさい。
   ずっと、ずっと謝りたかったけど、勇気がでなくて謝れませんでした。
   ほんとに、本当にごめんなさい!」

女「……うん、いいよ」

少年「ゆ、許してくれるんですか?」

女「許すもなにも、怒ってなかったよ。
  ただ、私がしてきたことのせいで少年くんが嫌な想いしてたのかあ、
  って考えたら、悲しかっただけで。勘違いだった、のかな?」

少年「それはとっっっっっっっっっても勘違いです!
   女さんが話しかけてくれる度に僕は――」

嬉しかった、のだろうか。
あの時の僕は感情を未だ知らなかった。

そうでないなら、なんだったんだろう。
なんだったらいいんだろう……唯一、嘘じゃない感情は――。

少年「女さんへの好意を募らせてました!」

女さんが好きだという、想いだけだ。

63: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:00:37.29 ID:nlsr789Z0
少年「だから、だから――僕とっ! 友達になってください!」

「……おィおィ少年、ここは交際を申し込む場面だぞ?
 友達って。まったく、君らしィな」

どうすれば友達になれるのか解らない少年は、自分の大切な人を見習い右手を開いて差し出した。
その結果がどうなってしまうのか知るのが恐くて、頭は深く下げている。

少年に集う感情は恐怖だけではない。
緊迫した心に流れる不安や悲しみといったネガティブ。
そこに絡まる喜びや希望といったポジティブ。

張り裂けんばかりの心臓が少年の耳を支配して、あわやその言葉を聞き逃すところだった。

女「喜んでっ」

差し出した右手を握られた柔らかな感触。鼓膜を震わせた最大級の幸福。
喜びに胸を圧迫されながら女生徒の顔を見上げてみれば、少年の大好きな笑顔が咲いていた。

64: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:01:20.76 ID:nlsr789Z0
女生徒と友達になれた喜びも冷めやらぬまま、少年は走って階段を駆け上り、
屋上に続く扉の前で目を瞑る。

少年「やった! やったよシン! 女さんと友達になれた!」

「おめでとう、少年。君は立派な人間だ」

少年「これもシンのお陰だよ! だから――」

「水を差すようで悪ィが少年。君は俺の餌に過ぎなィ。だから――」



少年「僕の愛を食べていいよ」
「俺はこのまま死のうと思う」

少年「え?」
「は?」

65: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:01:58.77 ID:nlsr789Z0
少年「し、死ぬってなんだよ! どうしてそんな話になるんだよ!」

「仕方がなィだろう! 俺の餌は愛だ! 食べなければ存在は消えてしまう!
 それよりも少年、愛を食べてィィとィってィる意味が解ってィるのか!?
 俺が愛を食べたら君は――」

少年「そんなことぐらい知っているよ!
   初めに言ってたじゃないか。『ただ少しだけ空っぽになる』って!
   食べるのが愛なら、愛が消えちゃうんだろう? それぐらいわかってるよ!」

「ィィや解ってなィ! 愛が失くなるとィうのは、愛することができなくなるとィうことだ!」

少年「それでも僕は! シンに愛を食べてほしい! シンが死ぬくらいなら、食べればいい!」

「嫌だ!」

少年「嫌だ!」

66: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:02:58.75 ID:nlsr789Z0
「解ってくれ。俺は君が大切なんだ。これが愛とィうものなのだろう。
 今まで愛を糧に生きてきたが、まさかこの俺がナニカを、
 ましてや餌を愛するなどとは思ってもみなかった。
 満足なんだよ、少年。これ以上なィ幸福だ。
 こんな素晴らしィ感情を芽生えさせてくれた君の愛を食べることなんて、俺にはできなィ」

少年「……わからないよ! そんな理屈、わかるはずがない!
   考えてもみなよ! 僕は愛を食べられたって生きてられる。
   愛を食べられたって不幸になるわけじゃない。それはシンが教えてくれた。
   愛の他にも素敵な感情は沢山あるんだ。友情だってその一つだよ。
   女さんへの好意は消えてしまうかもしれないけど、
   女さんや男子くんに注げる感情は愛だけじゃないんだ!」

「……駄目だ駄目だ駄目だ!」

少年「このっわからず屋!」

「ィうことを聞け頑固者!」

少年「どうして……どうしてわかってくれないんだよ……」ポロポロ

67: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:04:01.59 ID:nlsr789Z0
少年が涙が流したと同時に"蜃気楼"が見上げる空も涙を流す。
ぽつりと"蜃気楼"に落ちた雫はほんのりと胸に染み入った。

「君の心は本当に豊かになった。君にも魅せてあげたィよ。
 綺麗で、壮大で、鮮やかで、明るくて……。
 君の愛は誰よりも大きィ。俺の鼻に狂ィはなかった。
 こんなにも大きな愛を俺は知らなィ……それを壊すことなんてできなィ」

「なに、すぐに消えてしまうわけじゃない。多分、だが。
 あと一年はのんびりとしてィられるだろう。この素晴らしい景色の中で一年。
 それは今までの百数十年を軽く凌駕する、濃密な一年だ」

「ありがとう。ありがとう、少年。
 心から君を愛してィるよ」

少年「うっ……ううっ……」ポロポロ

少年「僕は……僕は……っ」ポロポロ

68: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:05:11.97 ID:nlsr789Z0
朗らかな狐の嫁入りが弾力のある小粒となり、降られれば桜や花に落ちて跳ねる。

「……どういう、ことだ?」

心理世界で"蜃気楼"は首を傾げた。
どうして――どうして告白が終わったのに、世界は美しいままなのだ?

少年「ぐすっ……僕はね、シン……」

敷き詰められていく桃色の花びら。
桜の絨毯はぷかりと浮いて、美の象りの前で揺らめいている。

「乗れと、ィうのか……?」

壊さないように足をかけてみると意外にも桜は安定していて、
力強く"蜃気楼"をその身に乗せた。

少年「本当に、本当に嬉しいんだよ……。
   世界がこんなにも綺麗だなんて、知らなかったから……」

69: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:05:54.26 ID:nlsr789Z0
"蜃気楼"を乗せた桜は早すぎず遅すぎずの速度で静かに上空へ向かう。

少年「全部シンがくれたんだ。喜怒哀楽だけじゃなくて、愛も友も情も全部。
   シンと出会わなかったら、今の僕はいないんだよ……」

桜はどこまでも空へと向い、雲を突き抜けて更なる宇宙〈ソラ〉へ。

少年「シン、ありがとう。本当にありがとう。世界に色をくれてありがとう。
   シンが死ぬくらいだったら、僕は自分の全てを君に与えるよ。
   くすくす……シン、きっとこれもね――」

宇宙まで"蜃気楼"を連れてきた絨毯は、視界を遮らないように包み込んだ。
その暖かさと、桜が"蜃気楼"に伝えたかった想いを知り、大粒の涙を零した。

「俺は……俺は……」

70: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:07:55.50 ID:nlsr789Z0
ずっと、孤独だった。
ずっと、寂しかった。

発現してからとィうもの、自分が誰だか解らない不安と恐怖は付き纏ってィた。
その気になれば姿を表すこともできるが、言語の通じる人類に俺の姿は刺激が強すぎるらしィ。

自分のことにつィて知ってィたことはとても少なく、その一つが餌の在り処だった。
餌を得る為には目的の愛を色濃くしなければならない。

更に、相手の受諾が必要など細かな事項も多かった。
真実を話しても契約はできなったため、隠すべきところは削り、甘言だけを取り繕った。

餌を喰らわねば消えてしまう。本能的とはィえ知ってィたことだが、餌が愛とは滑稽だった。
餌なのだ。愛が餌なのだ。腹が減れば愛を喰らう。生きるために愛を喰らう。

そんな俺が愛されたィと望むなんて、これは誰の描ィた喜劇だろう。

71: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:08:31.46 ID:nlsr789Z0
少年「きっと、きっとね――これも一つの愛の形だと思うんだよ。
   だから僕だってそうさ。僕も……君を愛してる」

"蜃気楼"の視界いっぱいに広がる少年の心。
いつまでも消えなかった愛の心。

いつの間にか海の光と桜の桃色で埋め尽くされた地球に、
紅葉の朱が大きな、とても大きな絵を描いていた。

「……俺は――愛されてィるっ!」ポロポロ

その中心にいたのは"蜃気楼"だった。
特大の朱いハートマークの中心にいたのは、愛を求め続けた存在だった。

72: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:09:03.11 ID:nlsr789Z0
「少年……ありがとう。俺は初めて愛を得た……喰らうことなく、愛を得た」

少年「だから食べてもいいんだよ。そんなシンにだから、食べてほしいんだよ」

「ィや……どうやらその必要はなさそうだな」

少年「それは……いい意味、だよね?」

「ああ、これ以上なく良ィ意味だ……間もなく俺は消える」

少年「どういうこと!? まだ一年は大丈夫だって!」

"蜃気楼"を象る曖昧な縁が光の粒となっていく。

「知らなかった……まさか俺がそうィう存在だったなんてな……」

少年「どういうことだよ! 消えるって! シン!」

73: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:09:59.02 ID:nlsr789Z0
「少年、悲しむな。状況は変わったのだ。これはきっと、運命だったのだろう」

少年「運命なんて! そんなもの!」

「少年! さっきまでとは違う。諦めじゃなィんだ。
 どうやら俺は、真実の愛を受けることで次に進める存在だったらしィ」

少年「どういう……こと?」ポロポロ

「君が理解するには難しィが、幽霊のようなものだと思ってくれ。それが一番近ィ。
 そして真実の愛を受けた俺は、次に――人間になれるようだ」

少年「輪廻、ってこと?」

「それに近ィだけで別物だ。説明しようがなィのだ、この現象は。
 ただ、それだけに解ってほしい。俺が今こうして消えることは、決して悲劇ではなィのだと」

少年「そんなこと……言ったって……っ」ポロポロ

74: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:10:26.44 ID:nlsr789Z0
「俺は君に多くの言葉を残すことができた」

「だから問題なィ。そうだろう? 俺達は良き友になることができた」

「このような展開は想像すらできなかったな」

「なあ、少年。君に聞かせた歌だがな、ある部分だけを伝えたかったんだ」

「I would rather dance with you Than have a medal to show」

「暇があれば訳してくれ。それが俺の気持ちでもある」


75: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:11:21.22 ID:nlsr789Z0
「さあ、笑え! 笑うのだ! 友の旅立ちは、笑顔で見送るものだぞ!」

少年「シ……ン……っ」ポロポロ

悲しみで顔がしわくちゃになりながらも、少年は必死で頬を持ち上げた。

「はっはっは、下手糞な笑顔だな。それにしても、俺の姿が君に視えてィなくてよかった」

少年「視なぐったっでわがるよ……シンもへたくそなんでしょ?」ポロポロ ニカッ

「そんなことはなィ……とても、とても素晴らしィ表情だ」

(但し、それが笑顔とは限らなィけどな)

少年「シン……ありがとう……ありがとう……っ」

「またな、少年。またどこかで――必ず会えると信じてィる!」

美の全てが光の粒となって、少年の心の宇宙で輝く。
朱いハートマークが描かれた星から見上げれば、
阿修羅さえ見惚れる七色の流れ星が延々と降り続けていた。

少年「シイイイイイイイイイイン!」

76: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:12:09.10 ID:nlsr789Z0
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77: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:12:37.44 ID:nlsr789Z0
女「しょーねーんくーん! おはよっ。待たせちゃったかな?」

少年「だ、大丈夫だよ! 待ってないよ! もうさっき来たばかり! 遅刻寸前!」

女「遅刻しちゃってごめんねぇ」ショボン

少年「おおお女さんを責めてるわけじゃないよ!」

女生徒と友達になってから一年。
何度も遊んでいる少年だったが、この日はいつもと気合が違った。

男子(さあああああ! 今日こそ告れよおおおおおおお!)

そして男子生徒も木の影からこっそり二人を見守っていた。


78: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:13:04.62 ID:nlsr789Z0
待ち合わせ場所に集まったらまず喫茶店。
それが二人の定番コースである。

少年「きょきょ今日は良い天気ですね!」

女「そうだねぇ、晴れてよかったよねっ」

告白のチャンスを逃し逃して三ヶ月。
そろそろ本気で告白しようと気構えた少年はカチコチだ。

少年「ききき昨日も良い天気ですね!」

女「最近天気がいいよねー。眠くなっちゃうよぉ」

少年「あああ明日も良い天気ですね!」

女「ほんと? それじゃいーっぱい寝ようかなぁ」

男子(相手が女じゃなけりゃフラれてんな……)

店員「……申し訳ありませんがお客様、
   帽子とサングラスとマスクと新聞紙広げての来店はお断りしております」

79: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:13:53.15 ID:nlsr789Z0
いつもなら映画館に足を運ぶ二人だが、少年は女生徒を公園に誘った。
池の辺を散歩しながらゆっくりと歩いていく。

女「んーっ、きもちいー! こんなゆったりとしてるの、久しぶりだよぉ」

少年「ぼぼぼ僕もです!」ウィーンガシャンッ ウィーンガシャンッ

男子(ロボット歩行のお前のどこに緩さがあるんだよ! 油挿せ油!)

女「少年くん歩き方が変だよ?」

男子(お前の頭もかなり変だけどな! ド天然!)

少年「そそそうですか? いつもどおりですよよよ」ドスコイドスコイッ

男子(ああ、こりゃ、うん。明日は慰め会だな)

警官「ちょっと君。二三質問を」

男子「だああああああ俺は怪しくねえよおおおおお」ビューン

警官「……」

80: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:14:42.72 ID:nlsr789Z0
少年「女さん!」

女「はひっ」ビクビク

突然肩を掴まれたものだから女生徒は驚いた。
少年といるとなにかしら驚きを与えられる。それが暴走に繋がった時は、実は少し楽しんでいる。

少年「ぼ、ぼ、ぼ、僕はっ!」

少年(あああああ無理無理無理無理! いつもここまででむううううりいいいいいいい!
   告白してもどうせふられちゃうなら、友達のままでいっそ……)


なにかしら怯えている少女と肩を強く掴んでいる挙動不審な少年に、
先程の警官が近づいていく。

81: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:15:08.78 ID:nlsr789Z0



警官は二人の所まで歩いて行って――横を通り過ぎた。


「でも?」

少年「僕ならできる!」




82: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:16:39.67 ID:nlsr789Z0
女「ひゃう!」ビクビクッ

少年「!?」

慌てて周りを見渡すが、そこに少年の求めた姿――存在はなかった。
それでも、少年は暖かい想いを胸に抱く。

少年(僕は一人じゃない……そうだよね、シン)

強張った手の力を緩めて、緊張のほぐれた笑みで女生徒を見詰める。

少年「僕は女さんが――」

少年の言葉を聞き終えた後、女生徒は満面の笑みを咲かせていた。
喜びで頬を濡らす少年にも、お節介な警官にも、愛に溢れた花が咲く。

彩り鮮やかな星の中で。


おわり

83: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:18:20.71 ID:nlsr789Z0


I would rather dance with you 

誇示するメダルを持つよりも

Than have a medal to show 

あなたと一緒に踊りたい


The Medal Song/ Culture Club

84: ◆QkRJTXcpFI 2012/11/30(金) 21:22:31.46 ID:nlsr789Z0

ってなわけで終わり。

The Medal Song/ Culture Clubは陽気なカントリーソングだから
BGMとしては合ってたり合ってなかったりする場面があると思うけど
よかったら少年の告白デートで聞いてみてもらえれば丁度いいかな?

地の文が多いし、固いし、三人称視点に慣れてないから読み辛い部分もあると思う。
けど、ここまで読んでくれる人がいたなら、ありがとう。

暇潰しになったかな?

スレは今日一日残して完結報告するつもり。

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