青年「風鈴屋敷の盲目金魚」

2019年03月17日
青年「風鈴屋敷の盲目金魚」

1: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/05(水) 21:58:41.08 ID:ZRvV3OZF0
青年(しとしとと小雨が降っている。僕は傘を差さずに歩いている)

青年(これくらいの雨は好きだ。柔らかい雨粒の感覚が心地良い)

青年(こんな日の散歩は風情があって良い。僕は上機嫌で鼻歌を歌う)

青年(雨の日の景色は、いつもとは全然違う。だから好きなんだ)

青年「……そろそろ戻ろうかな」

青年(進んでいくうちに町を抜けていた。僕は裏山で、通常のコースを外れて歩いている)

青年(知らない場所を探索するのは楽しいけれど……)

青年(さすがにこれ以上は帰りが疲れるな。もう戻ろう)クル

……チリーン

青年「?」

青年(雨の音に紛れて、今変な音が……風鈴?)

青年(……?)

青年「気のせいか」

……チリーン

青年「!」

青年(いや、気のせいじゃない! こっちだ!)ザッ

青年「……!」

青年(壁と思ったら、四角い抜け穴が蔦に隠れている!)

青年(おお、こんな隠し通路があるのか! 散歩も悪くないな。探検している気分だ)ザッ

青年(奥が見えてきた……あれは)

青年「おお……」


2: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/05(水) 22:04:49.46 ID:ZRvV3OZF0
チリーン チリーン チリーン チリーン

青年(隠し通路を抜けた先には、木々の間に小さな屋敷がぽつんと存在していた)

青年(美しい風鈴が沢山吊るされている。風鈴屋敷、と呼ぶべきか)

青年(ん、雨の勢いが少し強く……)

青年「! うわあ、結構降ってきた」

青年(折り畳み傘でしのぐのも微妙だな……仕方ない。この屋敷で雨宿りさせてもらおう)

青年「少し失礼しますよっと」

ザアアァアアァアァ――

チリン チリン チリン

青年「……ふむ」

青年(謎の屋敷、風鈴の音、雨の匂い。それぞれが調和して深い雰囲気が形成されている)

青年(妙に落ち着く。気分がふわふわする)

青年(まるで神隠しにでもあった気分だ。この屋敷は……誰かの別荘なのかな)

青年(人は居るのかな)スッ

ガラッ

青年「!?」

青年(おいおい、鍵が開けっ放しじゃないか。不用心だなぁ)

青年(誰かに見られたら怪しい男になってしまう。さっさと閉め……)

青年(……おや?)

フワッ……

青年「あ……」

青年(部屋の奥から……泡が飛んできたぞ)

青年(それも、的確に襖を避けて……まるで意思を持ってるみたいだ)

青年(不思議な泡だ)

青年「……」パチン

(こんにちは)

青年「えっ!?」

青年(今、誰かの声……と言うよりは、思考が頭に浮かんだみたいな……何だ今のは)

青年(あ、また飛んできた)パチン

(雨が止むまで、こちらで雨宿り致しませんか)

青年「……あ、はい」

青年(何だろう、とても綺麗な声の持ち主……のような感じがする)

(では、中にお入りください)

青年(……どうする……?)

青年(明らかにただの人間では無さそうだぞ)

青年(でも……)

青年「……うん、行こう」

青年(僕は意を決して足を踏み入れた)

3: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/05(水) 22:07:37.90 ID:ZRvV3OZF0
青年「……ほう」

青年(屋敷の中はひんやりとしている。けれど、肌寒くは無い)

青年(かなり老朽化している。もう人は住んでないのかな)

青年(何だろう。得体の知れない場所に入っているのに……すごく安心出来る)パチン

(こちらです)

青年(……この泡は何なんだ……?)

チリン チリン チリン

青年(屋敷中に風鈴が吊るされている。淡い水色をしている)

青年(僕に反応して揺れているみたいだ)

青年(……襖に隙間がある。この部屋か)

青年(何が居るんだ……?)ソッ

青年「失礼します」ツツーッ

青年「……!!」

4: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/05(水) 22:14:33.22 ID:ZRvV3OZF0
(お待ちしておりました)

青年(色とりどりの風鈴が吊るされたその部屋の中央)

青年(そこには文字が刻まれた翡翠のような石が入った、大きめの金魚鉢があった)

青年(白い金魚がそこに佇んでいる。これが……僕を呼んでいたのか?)

白金魚「……」ブクク

フワッ

青年(! 金魚が吐いた水泡が、水面から浮かび上がった瞬間に、拡大して浮かび上がった!)パチン

(普通の人間と話すのは本当に久方ぶりです。急にお呼びして失礼しました)

青年「あ……はい」

(あら、案外驚かないのですね?)

青年「あー、まぁ……この屋敷の空気が落ち着くせいでしょうか」

青年(良い匂いがするんだよな。この金魚の匂いか……?)

(変わった方ですね……ふふ)

青年(……あれ、この金魚、よく見ると目も真っ白だぞ?)

青年「……あの、目……見えてますか?」

(あら、気付いてしまいましたか)

(はい。私は盲目なのです。貴方の姿が見えないのが残念ですわ)

青年「でも、どうして僕が居るって分かったんですか?」

(この屋敷の風鈴は、ある式神使いに頼んで作って戴いた、特別製なのです)

(私の力と合わせる事によって、風鈴の音が私の目、耳代わりになってくれるのですよ)

(ですので、屋敷周辺のものなら感知出来るのです。雨の時は少し難しくなりますけれど)

青年「わぁ、すごい……貴女は神様なのですか?」

(私はもう神とも呼べませんね……)

青年「何故?」

(遥か昔、悪しき存在に意地悪を受けまして……ほとんど力が失せてしまいました)

青年「悪しき存在……?」

5: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/05(水) 22:19:34.57 ID:ZRvV3OZF0
(……)スッ

青年「!?」

青年(目が深い赤色に染まった! でも)

(うっ……)

青年(両目から黒い炎が溢れ出した!? 水中なのにどうなっているんだ!?)

(……このように、「真の瞳」を使おうとすると、奴の呪いが発動し、両目が焼け付くように痛むのです)

青年「そんな……」

(……‘黒山羊’はまだ悪さをしているのでしょうか……)

青年「クロヤギ?」

(いえ、忘れてください。せっかくいらしてくれたのですし、もっと楽しい話をしましょう)

青年「……でも、勿体ないですね。あんなに綺麗な臙脂色なのに」

(あら、素敵な表現をしてくださいますね)

青年「僕、美しい言葉が好きなんです。たまに調べたりするんですよ」

(それは良い事です。綺麗な言葉はどんな宝石よりも美しいですものね)

青年「ええ。何だか好みが合うみたいですね」

(そうですね。綺麗な心をお持ちですね……貴方の心の色が心地良いですわ)

青年「心の色……?」

(見る、と言うよりは感じる……ですけれど。優しい方なのですね)

青年「うわあ、何だか照れくさいなぁ」

(ふふふ。可愛らしいですよ……あら、もう驟雨が止んだようですね)

青年「シュウウ?」

(通り雨の事です。私はこちらの呼び方の方が好きでして)

青年「へえ、初めて聞きました……」

(……あの)

青年「……あの」

青年「!」

(あら、失礼致しました。貴方からどうぞ)

青年「すいません。えっと……ご迷惑で無ければ、また来てもいいですか?」

(……同じ事を考えていました。こちらこそ、話し相手になって頂けますか?)

青年「……はい! よろしくお願いします!」

青年(こうして、僕と白い盲目金魚の奇妙な関係が始まった)

8: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 08:56:57.38 ID:VeV9Hfv90
青年「こんにちは」

(青年様、いらっしゃいませ。今日は暑かったでしょう)

青年「そうですね、日が照って……この前はすごい風で寒かったのに」

(春疾風、ですね。春に見られる強い風嵐の事です)

青年「春疾風。綺麗な音ですね!」

(そうでしょう。私も好きな言葉です。花嵐とも呼びますね)

青年「「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」……ある著者が訳した有名な言葉がありますね」

(素敵な言葉ですね。物悲しさと力強さがよく感じ取れます)

青年「はい。春は良いものですね」

(ええ。私も春は大好きです)

青年「春の夜の空気が好きなんですよ。あのほわほわした柔らかい空気が」

(春の夜はとても良いものですね……春眠、暁を覚えずとはよく言ったものです)

青年「よく聞きますね。夜桜を見に行ったりしていると、寝るのも遅くなりがちです」

(桜は綺麗ですが、体調にはご注意を。「花冷え」という言葉もありますから)

青年「花冷え……?」

(桜の咲く頃に、急に冷え込む空気の事です)

青年「それにも言葉があったんですね! 知りませんでした」

(言葉はそれこそ星のようにありますから)

青年「貴女のように色んな言葉を蓄えたいものです」

(ふふふ、期待していますよ)

9: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 09:04:14.38 ID:VeV9Hfv90
ザアアァアァアァァ……

青年「こんにちは」

(こんにちは)

青年「さすがに雨が降ると冷えますね……」

(そうですね。でも、庭をご覧になって下さい。花の雨ですよ)

青年「ああ、桜に雨が」

(はい。風情があって私は好きですよ)

青年「桜の花びらからぽたりと落ちる雫の感じが、何とも言えない美しさですね」

(はい。あの桜はずっと昔からこうして咲いているのですよ)

青年「すごいですね。この雨の勢いならまだ散らなくて済みそうです」

(そうですね。こうしてしとどになっても耐え抜く強さを、私も身に着けたいですわ)

青年「しとど?」

(ひどく濡れるさまの事です。「しとしと」や「湿る」が語源の一種と考えられていますね)

青年「へえ……確かに、言われてみれば似ていますね」

(……あら、風鈴の音が澄んだ……もう雨が止みましたね)

青年「はい。草木の瑞々しい香りがしてきました」

(植物にとっては恵みの雨ですものね)

青年「……あ。虹が出ていますよ。初虹です!」

(初虹は夏と違い、日差しが柔らかいですから……きっと、とても淡い色をしているのでしょう)

青年(雨に「しとど」に濡れた桜。風鈴の音、初虹……すごく綺麗だ。でも)

青年(……金魚さんにも見せてあげられたらな)

10: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 09:16:21.72 ID:VeV9Hfv90
青年「こんにちはー」

(こんにちは)

青年(もうすっかりこの道にも慣れた。僕は迷わず金魚さんがいる部屋に進む)

青年「この屋敷に来るとやはり落ち着きます。まるで実家みたいだ」

(貴方にとってこの屋敷が憩いの場であれるのなら、とても嬉しいですよ)

青年「今度泊まろうかなぁ、なんて」

(あら、構いませんよ?)

青年「えっ……」

青年(冗談で言ったものの、僕は予想外の返答に息を詰まらせた)

青年(何て言うか、僕と彼女には一定の距離感があって……)

青年(お互いがお互いの境遇を聞かない、踏み込まない空気が流れていた)

青年(だから、こうして泊まって良いなんて言われるとは思ってもいなかったわけで)

(……? あの)

青年「あ、っ失礼しましたっ! ぼーっとしてて!」

(くすくす……それで、如何無さいますか? いつでも構いませんよ)

青年「えーっと、じゃ、じゃあ明日で!」

青年(おいおい落ち着け馬鹿。焦りすぎだ!)

(明日ですね。丁度良かった。何のおもてなしも出来ませんが、心待ちにしています)

青年「は、はい! では明日の夕暮れ時に参ります!」バッ

(はい。お気を付けて)

11: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 09:18:03.61 ID:VeV9Hfv90
青年「んー……」ソワソワ

青年「ああー……」ピクピク

青年(あーっ!! 駄目だ! どうも落ち着かない!)

青年(何をそわそわしているんだ! 思春期の中学生かよ!)

青年「……って言っても、なぁ」

青年(どんな言葉を纏おうとも、この心臓のくすぐったさが消える事は無い)

青年(まさか僕は緊張、してるのか……?)

青年(久しぶりだなあ、こんな感覚は……)

青年(あー!! 早く時間が経ってくれ!)

12: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 09:19:09.45 ID:VeV9Hfv90
サワサワ……

青年(思えば、夕暮れ時に風鈴屋敷を訪れるのは初めてだ)

青年(今はすこし肌寒い。上着を持ってきて正解だった)

青年(布団も無いだろうから、寝袋を用意してきたけれど)

青年(この気温じゃ、持って来すぎた、なんて事はなさそうだな)

青年(古いトンネルの中を夕陽が射している。その独特な色合いを見ていると、何となく切なくなる)

青年(風が桜の柔らかい葉を撫でる音がする。目を瞑ると心地良い音に包まれる)

青年(きっと僕だけが知っている、秘密の空間)

青年(そう思うと、何だか誇らしいような、妙な昂揚感が湧いてきた)

青年(そうして僕は、いつものように風鈴屋敷の扉を開ける)

13: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 22:10:55.90 ID:VeV9Hfv90
青年「こんばんは」

(こんばんは。お待ちしておりましたよ)

青年(……困ったな、いざ泊まるとなると、話題が浮かんでこないぞ)

……チリン チリン……

青年「……思えば、この時間帯の空気って初めてです」

(そうですね。山の中ですから、帰りが遅くなるといけませんし)

青年「風鈴の音も、いつもと違う……」

(今の風は優しいものですからね)

青年(うわあ、何だか……眠くなってきたぞ……)ウトウト

(眠いようでしたら、少しお休みになって下さい)

青年「え……でも……」

(まだまだお話出来ますから。お気になさらずに)

青年「……すいませ……ん」

チリン チリン……

青年(この風鈴の音のせいかな……優しく僕を包んでくれる、みたいな……感じが……)

チリン……チリリン……

青年(駄目だ、思考が纏まらな……)

……チリ……ン……

14: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 22:16:17.83 ID:VeV9Hfv90
青年(……んん)

青年「!」バッ

青年(うわあ、僕は寝てた……のか! すっかり夜になってる!)

青年「すいません、あの――」

青年「……あれ?」

青年(金魚さんが……居ない!?)

青年「あの!」

青年(金魚鉢はある、けれど……一体何処に行ったんだ?)

ちりん ちりんちりん 

青年(……誰も居ないと思ったら、この居慣れた屋敷が何だか不気味に感じてきた)

青年(空気がやけに冷たく感じる。誰かに見られているような気がする)

青年(月明かりのおかげで部屋の様子は見えるけれど……ちょっと一人は耐えれそうにない)

青年(一体、何処に――)

ぎしっ……

青年「……っ!」ドクン

青年(廊下に、誰かが……居る!)

青年(こんな所に来る物好きなんて……昼間はともかく、この夜に!? まさか!)

青年(ど、どうする……どうする!? 金魚さんはどうなったんだ!?)バクバク

青年(く、くそっ……腹をくくれ! 男だろ!)キッ

青年(僕は震える左の手首をきゅっと握り込むと、意を決して襖を勢い良く開けた)

青年「誰――」

青年「……えっ?」

15: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 22:20:14.59 ID:VeV9Hfv90
「お目覚めになりましたか?」

青年(そこに立っていたのは、桜色の着物を着た、美しい白髪の女性だった)

青年(絹のような長い髪、静かに閉じられたその両目。彼女の周りには無数の泡が漂っている)

青年(まさか)

青年「金魚……さん?」

女「ええ。その通りです。驚きましたか?」

青年「っさすがにまあ……はい。驚きましたよ」

女「ふふふ。座りましょうか」

青年(僕は彼女に促されるまま、縁側に腰を下ろす)

女「私は満月の夜に限り、人の姿に成る事が出来るのです」

青年「なるほど……初めて貴女の声を聞きました。綺麗な声ですね」

女「ふふふ、私も初めてこうして、貴方に触れる事が出来ます」スッ

青年「!」

女「温かい手……まるで春の日差しのよう」ニコ

青年(突如金魚さんが両手を握ってきたので、僕は驚きのあまり固まってしまう)

青年(閉じていても分かる大きな目、すっと通った鼻、優しい笑みを浮かべる口。まるで人形のような綺麗な顔立ちだ)

青年(彼女の顔は、あまりにも完成されすぎていて……僕が見てはいけないもののように感じる)

女「さあ、庭をご覧になって下さい」

青年「……わぁ」

青年(風鈴屋敷の庭を、春の見事な満月が見下ろしている)

青年(庭には野生の様々な花が咲き乱れていて、それを月明かりが照らしている)

青年(この花々はずっと昔から咲き続けていたんだろうか)

青年(夜風に揺られ、風鈴が静かに鳴る)

青年(けれど、月明かりを浴びて心地よさそうにしている彼女が、何よりも美しくて)

青年(心臓が静かに激しく鼓動する。それは嫌な感覚では無い)

女「……ふふ」

青年(ああもう、分かった。分かったよ)

青年(――僕は、この金魚さんに恋してしまったんだ)

16: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 22:35:58.30 ID:VeV9Hfv90
女「どうかなさいましたか?」

青年「いいえ。ただ自分の事を少し知れただけです」

女「?」

青年「ああ、此処は素敵ですね。まるで夢の中みたいだ」

女「……もっと素敵にしてみましょうか」

青年「え?」

女「えいっ」

青年(彼女はそう言うと、白魚のような指先を桜の方に向けた)

青年(その指先から放たれた無数の泡は、正確に桜の花弁一枚一枚に飛んで行き……)

青年「おお、おおお……!」

青年(すっぽりと包み込んでしまった。それらがふわふわと宙を舞っている)

青年「まるで……桜の星空みたいだ」

女「この程度の事しか出来ませんが……素敵でしょう?」

青年「はい! とても幻想的です……!」

女「お気に召していただけたようで」

青年(彼女がそう言った瞬間、ぱんっと音がして泡が一斉に破裂した)

青年(花びらがまるで花火の終わり際のように、ひらひらと舞い降りる)

青年(こんなに美しいのに……彼女は直接目で見る事は出来ないのか)

女「この景色を人に見せるのは、本当に久しぶりです」

青年「他にも人が来たんですか?」

青年(せっかくだ、踏み切った質問をしてみよう)

女「はい、式神使いの女性です。今でもたまにいらっしゃいますよ」

青年「ああ、風鈴を作ったって言う、あの」

女「はい。彼女のおかげで、随分と感知が楽になりました」

青年「へえ、会ってみたいなぁ」

女「三人でお話したいものですね」

青年「そう言えば、前こんな事がありまして……」


青年(勇気を出して踏み込んだおかげで、その後の会話は一気に弾んだ)

青年(金魚さんの事も少し知れた。名は女と言うらしい)

青年(ああ、来てよかったなぁ)

17: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/06(木) 22:37:20.48 ID:VeV9Hfv90
青年(その日から、風鈴屋敷の扉が開く事は無くなった)

19: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/07(金) 20:49:36.71 ID:7WOomEqS0
青年(今日は雨が心の底から腹を立てているかのような、凄まじい雨が降っている)

青年(もう梅雨入りらしい。こんな雨だと、どうしても気分が沈む)

青年(僕は彼女を……怒らせてしまったのだろうか?)

青年(外出する気分にならないのか、図書館もかなり空いている)

「……」トン

青年「?」クル

「ちょっと、良いかな?」

青年(誰だろう、この女性は)

「金魚姫についてなんだけれど……向こうの席に行こうか」

青年「……!」

20: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/07(金) 20:55:13.12 ID:7WOomEqS0
式神使い「初めまして。式神使いと言います」

青年「! 金魚さんから話は聞いています。風鈴を作った方ですね」

式神使い「うん。彼女の事はよーく知っているよ」

青年(不思議な感じの人だ。細身の身体、艶のあるショートヘア。全てを見透かすかのような目をしている)

式神使い「さて、私が君に接触したのは、お願いがあるからなんだ」

青年「お願い?」

式神使い「彼女の心に入って、掛けられた呪いを外してほしい」

青年「心に……!?」

式神使い「彼女の呪いは厄介でね、よりによって「恋」をキーとしているんだ」

青年「……つまり、それは」

式神使い「あまりこういう事に干渉したくないんだけれど、時間が無いからね。許してほしい」

式神使い「今の彼女は自分の心に怯え、他者を拒絶している」

式神使い「もう生きる気力が無く、ゆっくりと死に向かっているんだ」

式神使い「心に介入するのはかなりの危険性を伴う。それを踏まえて」

式神使い「君にしか解けない呪いなんだ。彼女の友人として頼む。協力してくれないか?」

青年「……」

青年(唐突に告げられた彼女の心、そして、死に向かっているという事実)

青年(僕の頭の中は、外の天気みたいにぐちゃぐちゃになったまま、形づいた思考を探している)

青年(僕、は……)

青年「……はい」

青年(結局、何かを見つける事が出来ないまま、そう返事をしてしまった)

21: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/07(金) 21:00:17.30 ID:7WOomEqS0
青年(次の月曜日に、満月が出る前に風鈴屋敷で。そう告げられた)

青年(金魚さんに掛かっている呪いを外すには、「恋」を鍵としている)

青年(それは、僕の心の事なのか)

青年(それとも……?)

青年(期待してしまう自分が嫌だ。僕は頬をぴしゃりと叩く)

青年「しっかりしろ。金魚……女さんを助けないといけないんだ」

青年(そうだ。余計な事は考えなくて良い)

青年(彼女を救う事に全身全霊を込めるんだ……!)グッ

22: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/07(金) 21:06:22.20 ID:7WOomEqS0
青年「……ふぅ」

青年(前と同じように、日没の少し前にこのトンネルへとやってきた)

青年(おそらく僕は、前泊まった時よりも緊張している。ずっと両手が震えてるんだもんな)

青年(駄目だ駄目だ、こんなザマじゃ、余計な気を回させてしまうぞ)

青年(左手を胸に当てて、心に水面を思い浮かべるんだ)

青年(今は鼓動で激しく揺れている、それを静かに……静かに……)フゥゥ

青年(……落ち着いた。もう大丈夫だ)

青年「さて」

式神使い「あ、もういいかな?」

青年「うわっ!?」

式神使い「さっきから一人で挙動不審だったから……」

青年「早く話しかけて下さいよ……恥ずかしい」

式神使い「くくっ。まあ良いさ。もう大丈夫だろう?」

青年「……はい」

式神使い「じゃあ、入ろうか。開けるよ……下がって」

23: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/07(金) 21:15:28.23 ID:7WOomEqS0
青年(屋敷内はびっくりするほど静かだ。まるで時が止まっているかのようだ)

青年「……! 風鈴が鳴っていない?」

式神使い「……まずいな。反応すらしないのか……予想よりも深刻だぞ」

式神使い「さて、準備を始めるよ」


青年(女さんは意識を失っている)

青年(彼女の尾びれの付け根には、白と黒の糸で紡がれた紐が結ばれている)

青年(僕はと言うと、その……裸で身体中に何らかの印を描かれている)

青年(まさか服を脱いでと言われるとは思わなかった。何だこの状況)

青年(だが、そんな事は言っていられない。だって、目の前の式神使いさんは……)

式神使い「……!!」

青年(すごい顔で印を描き続けているのだから。集中力が凄まじい)

青年(液体はお香のような匂いと、血のような臭いがする。何で出来ているんだろうか)

青年(そうこう考えているうちに、全ての印が描き終わったようだ)

式神使い「……さて、最後の説明をするよ」

式神使い「この紐は特別製でね、これを君の小指に繋ぐ」

式神使い「そして、満月の力に呼応して彼女が変化する時に……君は意識を失い、彼女の中に入る」

青年「……はい」

式神使い「中がどうなっているかは分からない……どうするべきかは、君が決めるんだ」

青年「大丈夫ですか、顔色が……」

式神使い「少し、休ませて……もらうよ……」ゼェ

式神使い「君なら、大丈夫さ……」

式神使い「頼んだよ……出来るだけ、早く……」

青年(そうして、この部屋で起きている者は僕だけになった)

青年(そのまま二十分ほど経っただろうか、満月の光が部屋を照らし始めた瞬間)

青年「ぐっ……!?」

青年(僕の身体が、一気に熱を帯び始めた。まるで、血がマグマになったかのように……)

青年「あっ、かはっ……!!」

青年(そうして、僕は意識を失った)

24: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 16:28:54.47 ID:LFUUUkX40
青年「……!」

青年(これが、彼女の心の世界……ひんやりとして澄みきった、綺麗な空気だ)

青年(目の前には青々とした竹、竹……見渡す限りの竹林だ)

青年(真ん中には石の階段がずうっと続いている。……先は、ちょっと見えない)

青年(これを登りきるのか……)

青年「……よし、行こう!!」

27: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 16:47:32.73 ID:LFUUUkX40
青年(しかし……静かだ)ザッザッ

青年(風も吹かず、僕の足音と呼吸音しか聞こえない)

青年(右も左も竹に囲まれている。僕の存在だけが異質かのようだ)

青年(竹林の無音がやけに煩い。……心細くなっている訳では無いんだけど)

青年(どこまで進めば良いのか分からないって言うのは……割と心にくる)

青年(息が少し乱れる程度のペースで登っているけど、何処まで持つか……)

青年(……! 余計な事を考えるな!! 助けに行くんだろ!)

青年「ん、あれは……」

青年(踊り場のような開けた部分がある。落ちているのは透明な鈴か?)

青年「何でこんな所に……?」スッ

青年「――!!」ビリッ


君を愛しているよ、誰よりも。

はい、私もです。


青年「……今のは!」

青年(映像が頭に……記憶の欠片か?)

青年(今の男性は……彼女の……)

青年(……)ズキ

青年「……進もう、進まなきゃ」

28: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 17:00:16.66 ID:LFUUUkX40
青年「はっ、はっ……」

青年(うお、キツい……膝に疲労がじんわりと蓄積してきた感じがする)

青年(まだまだ先はあるんだぞ、こんな所で……)フラ

青年「……あぁ!」

青年(僕は奥歯をぎゅっと噛みしめると、再び全身に力を込めて進み始める)

青年(何となく、感じている)

青年(後ろの方から、漠然とした「なにか」がゆっくりと追いかけてきているんだ)

青年(おそらく、それに追いつかれると……)ゾク

青年(女さんの心に潜っているんだ。それくらいのリスクはあるだろう)

青年(結局、僕は動くしか出来ないんだ。もっともっと動け!)

青年「……うっすらと霧が出てきたな」

青年(濃霧になるとまずい、ペースを無理矢理にでも上げないと)ビリッ

青年「!」


あ、あ……そんな、男さん……

お前が立場も弁えず人間に恋などするから、その人間は死んだ。

奴はお前と関わらなければ、こうして死ぬことも無かった。

全てお前の責任だ。お前が悪い。

……私が……

お前に「罰」を与える。生きて悔い続けろ。


青年「……!!」

青年(今の真っ黒な衣で覆われた男は……あれが「クロヤギ」?)

青年(……大体、何があったのか分かってきたぞ)

青年(女さんは何も悪くないじゃないか!!)

青年(怒りは人の原動力の一つだと、誰かが言っていた)

青年(それは恐らく間違いでは無い。僕の身体に纏わりついていた疲労感が、怒りによって一時的に感じなくなった)

青年(負けない……負けない!!)

29: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 17:24:32.79 ID:LFUUUkX40
青年「……はぁ……はぁ……」

青年(くそ、喉がっ……呼吸をするのが……辛いっ……!)

青年(肩が重い……脚が……!)

青年(! 今度は階段が茨で防がれてる!?)

青年(くそ、これじゃ通れない……!)ビリッ

青年(! 来た!)


私は一体何なのだろう。

何の為にこの屋敷に現れたのだろう。

大切な人を殺しておいて。

何の為にこの屋敷に居るのだろう。

もう想いも寄せる相手すら、居ないと言うのに。

けれど消える訳にはいかない。

寿命が尽きるその日まで、彼に謝り続けないと。


青年(霧、茨……進むにつれて、彼女の心の傷が見えてきた)

青年(つまり、この茨は彼女の心の壁なんだ)

青年(……ずーっと独りで抱えこんでいたのかな)

青年「……!」フラ

青年(もう全身に疲労が浸透している。まるで身体を蝕む病のように)

青年(両手に力を入れる気力なんて、とっくに残っていない)

青年(それでも、やるしかない。例え茨に身体を切り刻まれようと)

青年(力づくで乗り越えてみせるさ)

青年(彼女はずっと泣いているんだよ)

青年(……僕が諦めてどうするんだ!!)グッ

30: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 17:29:09.33 ID:LFUUUkX40
青年(考える事を忘れるくらい、ひたすらに脚を動かした)

青年(身体がバラバラになりそうなくらいに痛むけれど、我武者羅に抗った)

青年(そうして、視界を覆っていた最後の茨を越えて)

青年(やっと、やっとたどり着いたんだ)

31: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 17:35:32.81 ID:LFUUUkX40
青年「……泉だ……」

青年(無限に思える階段を登りきったその先には、紺碧色の小さな泉がぽつんと存在していた)

青年(不思議だ、この場の空気を吸っていると……何だか活力が湧いてくる)

青年(一呼吸ごとに体力が回復していく気がする)

青年(きっと、この中に……)

来ないで。

青年「!」

誰にも会いたくない。

傷つけてしまうのが怖い。

青年「……優しいんですね、貴女は。どこまでも……」

一人のまま消えたい。

青年「そんな貴方が」

寂しい。

青年「僕は大好きです」ニコ

……助けて。

ザブンッ!

32: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 17:42:14.69 ID:LFUUUkX40
青年(泉の水はびっくりするくらい透明で、冷たい)

青年(でも、その冷たさは決して嫌なものでは無い)

青年(暑い炎天下にプールに飛び込んだような……そんな感覚だ)

青年(心地良い……)

白金魚「……青年様」

青年「……!」

白金魚「どうして、こんな所まで」

青年(水の中に居るせいか、彼女の声が泡を介せずとも直接聞こえる)

青年(ようやく会えた彼女は、揺蕩う衣のような鰭が、少し心細そうで)

青年(それを見た瞬間、どうしようも無く心の臓が切なくなって)

青年「そんなの、決まってるじゃないですか」

青年(ああ、やっぱり僕は……)

青年「――貴女を愛しているからです」

青年(その言葉は、驚くほど簡単に口から飛び出した)

33: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 17:51:24.99 ID:LFUUUkX40
白金魚「……駄目、駄目です……私と居ると……また……」

青年「……!」

青年(な、何だ!? 鈴が光り出して――)

(……女。ようやく私の声を届けられるよ)

白金魚「あ、貴方は……!」

(確かに死ぬ前伝えたのに、君は自責の念ですっかり忘れてしまって、心の無意識領域に仕舞い込んで……)

(それじゃあ私も未練が残ったままだよ。拾ってくれた彼に感謝しないとね)

白金魚「……!」

(もう一度言う。あれは君のせいじゃ無いし、あの時死んだ事を恨んでもいない)

(だから、どうか私の分まで幸せになってほしいんだ)

(大切な者のために傷だらけになれる……彼なら安心して任せられる)

青年「!」

(女をよろしく頼んだよ)

青年「っ……はい!」

(さて、私が残した思念も……もう限界のようだ)

白金魚「……男様」

白金魚「私は、幸せになります! 貴方が生きられなかった分まで!」

白金魚「だから、だから……!!」

(……ふふっ、少し妬けるな。なんてね)

(……ああ、安心したよ)

(さようなら)

青年(その言葉を最後に、鈴の光はふっと儚く消えてしまった)

34: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 18:11:31.83 ID:LFUUUkX40
白金魚「……!!」

青年(僕らの目からは、自然と涙が溢れていた)

青年(僕らは思い切り泣いた。声を上げて泣いた)

青年(どうしてこんなにも胸が痛いんだろう)

青年(悲しみ、喜び、怒り、愛しさ……ありとあらゆる感情が僕らを呑み込んだ)

青年(僕らの身体は、紅白色と琥珀色の、激しい感情の泡に変わる)

青年(泡が弾けるたびに、心が一つに重なっては、また二つに分離して……それを何度も繰り返した)

青年(僕の心の欠けた部分を彼女が埋め、また彼女の欠けた部分を僕が埋めた)

青年(最後に、僕らは一つの魚の形の泡になった)

青年(それが弾けると、再び僕らの身体が抽象的な泡から現実に戻る)

青年(……目を開けた彼女の左目の炎は消えていた)

青年(そして、僕の左目に炎が移っていた)

青年(こんな痛みを彼女は抱えていたのか)

青年(その苦痛を少しでも和らげる事が出来て、良かった……)

白金魚「青年様」

青年「はい」

青年(そして、彼女がゆらりと僕の方に移動した瞬間)

白金魚「……愛しています」

青年(僕らの瞳に宿る炎が、フッと消え去った)

青年「……本当に、綺麗な瞳ですね」

白金魚「ようやく、貴方の姿を目にする事が出来ました」

白金魚「……」

青年(彼女が僕の頬に向かって、すっと顔を近づける)

青年(その数秒が、何だかやけに長く感じて)

青年(竹林の間を、ひゅうと冷たい風が突き抜けていって)


青年(何処かで、鈴が鳴った気がした)

35: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 18:32:11.12 ID:LFUUUkX40
――

青年「こんにちは」

式神使い「ふう、此処はやっぱり涼しくて良いね」

(いらっしゃいませ)

青年(あれ以来、僕らの仲は……特に変わってはいない)

青年(でもそれで良いんだ。お互い、思っている事は同じのはずだ)

青年(式神使いさんとは友人になった。時々こうして三人で集まる)

青年(よく「満月の夜、屋敷に行かないのかい? 二人に何が起きても黙ってるよ?」とからかわれるけど)ハァ

青年(思っていたよりも、茶目っ気がある人だ)

(あら、腕に火傷が……?)

式神使い「そうなんだ……お願いしても良いかい?」

(ええ)

青年(女さんは、呪いが消えて力を使えるようになった)

青年(彼女が力を込めて見た泡は、触れた者の傷を癒す力がある)

式神使い「ありがとう、楽になったよ」

(どういたしまして)

式神使い「……さて、ちょっと吹こうかな」

青年(式神使いさんは、よく此処で笛を吹く)

青年(その優しい音色を聴くと、心が穏やかになる)

青年(ああ、やはり此処は落ち着くなぁ)

フワ……

式神使い「……わあ、良い風だねえ」

青年「ええ、涼しいです」

(薫風ですね。ああ、青葉の香りを運んで来ました)

青年(屋敷の中に、涼しい風がさらさらと入り込む)

チリン チリン チリン チリン

青年(……ああ、心地良い音色だ。来た時と変わらない)

青年(この音が、僕を呼んでくれたんだな……)

青年(ありがとう)ニコ

……ミン……

式神使い「!」

(あら……この声は)

式神使い「もうそんな季節か。よくもまぁ疲れもせずに鳴けるねえ」

青年「……」

青年(風鈴屋敷の盲目金魚と過ごした三ヶ月間)

青年(いつの間にか、桜は散って梅雨は過ぎ去っていた)

青年(いつも季節が過ぎるのはあっという間で、取り残されているかのような切なさを感じるけれど)

青年(この風鈴屋敷で、大切な人達となら、きっと悔い無く過ごせる)

青年(そう思えるんだ)

 
青年(今年も暑い夏がやってくる)

ミーンミンミンミーン……ミーン……

……チリン……

36: ◆XkFHc6ejAk 2017/07/08(土) 18:40:00.94 ID:LFUUUkX40

このページのトップヘ